Jan 07, 2010

ソーラーパネルの家でも簡単に節電

省電力省電力と騒がれている世界で注目されていますが、一つの太陽電池パネルがあります。技術の進歩によって、自宅でも簡単に設置でき、LEDライトなどの照明程度なら簡単に発電が可能です。大々的なソーラーパネルと、個人が少し大変ですが、簡単にインストールすることも十分に有用で、節電をしたいという人々考えてみるのも手です。
人類の未来というものがどれだけの可能性があり、光があるのか​​はどうしても今はわからないのだが、しかし、明るい未来を期待し、それを投入することができる技術があるとする場合は、太陽光パネルによる太陽光発電しかないですよね。ソーラーパネルの太陽電池には、今、人類に大きな問題であるエネルギー問題を解決することができます。
 体操の世界選手権で史上初の個人総合3連覇を果たした内村航平(コナミ)が13日、ヤフードームで行われたプロ野球の日本シリーズ第2戦、ソフトバンク―中日戦の始球式に登場し、歓声を浴びた。
 投げた球は大きな弧を描いて打者の頭上を越えたが、そこは体操で数々の大舞台を踏んできた内村。「見せたがりな性格なので、投げた後は『どや顔』だったかも」。大観衆の前での1球を存分に楽しんだ様子。
 生まれ故郷は北九州市。「地元のチームなので応援したい」とソフトバンクにエールを送っていた。 

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 テニスの全日本選手権最終日は13日、東京・有明テニスの森公園で行われ、男子シングルス決勝で第3シードの守屋宏紀(北日本物産)が第1シードの伊藤竜馬(同)を5―7、7―6、6―2で破って初優勝した。
 守屋は第1セットを伊藤の強打に押されて失ったが、第2セットは競り合って奪い、動きの良くなった最終セットは一方的に攻めた。
 男子ダブルスは伊藤、近藤大生(アイシン精機)組、女子ダブルスは青山修子(近藤乳業)高畑寿弥(橋本総業)組が優勝した。 

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 全日本柔道連盟は13日の強化委員会で、グランドスラム東京(12月9〜11日・東京体育館)の代表を決めた。

 今年の世界選手権代表や講道館杯上位選手を中心に各階級4人ずつを選考したが、男子100キロ超級の上川大樹(明大)、女子52キロ級の西田優香(了徳寺学園職)らは、けがなどの理由で代表から外れた。

東北福祉大2年の松山英樹が快挙を成し遂げた。静岡県で開催された国内男子ツアー第22戦「三井住友VISA太平洋マスターズ」。2日目の降雨の影響で54ホールの短縮競技となる中、首位と2打差の2位で最終ラウンドを迎えた19歳が「68」をマークして通算13アンダーとし、アマチュアプレーヤーとして史上3人目となるツアー優勝を果たした。

松山英樹のフォトギャラリー

新たな快挙は、驚きの連続の中で生まれた。3番(パー5)のイーグルなどで2位タイで前半を折り返した松山は、後半11番でバーディ。13番で2.5メートルのパーパットを沈めると、14番から2連続バーディを決めて単独首位に躍り出た。17番(パー3)で第1打をグリーン右に外しボギーとして、2位以下とのリードは1ストロークに。しかし最終18番(パー5)。会心のドライバーショットでフェアウェイをとらえると、残り177ヤードの第2打は8番アイアン。静寂に包まれて放った一打は、ピン右50センチに着弾し大歓声を呼んだ。

新たな歴史の1ページを刻むウィニングパット。だが震える両手でボールをカップに沈めても、雄たけびも、派手なガッツポーズも無い。イーグルで決めた歓喜のシーンは、帽子を取ってペコリと頭を下げ、同伴競技者に礼をつくして握手を交わしただけだった。

「嬉しいけれど、本当に優勝したのかなと言う感じ。ローアマを狙っていたら優勝しちゃいました」。最終日前夜も緊張に悩まされる様子も一切なく、最終18番のティグラウンドで発した言葉も「腰は痛くないな。腹筋がついたかな」。強心臓ぶりはこの日も健在だった。

4月のマスターズで日本人史上初のローアマチュアに輝いた松山。世界最高峰の舞台を経験した後、飛距離と安定性を同時に求め、半年あまりで何度もスイングを変えてきたという。体格はひと回り大きくなり、ズボンのウエストは当時より3サイズ上がった。10月にアジア・アマチュア選手権を制し来年のマスターズ出場権も獲得すると、直後の「日本オープン」ではオーガスタ用のウェッジをテスト。夢舞台での経験がさらなる高みを目指すきっかけとなったのは言うまでもない。

アマチュア優勝は2007年の「マンシングウェアオープンKSBカップ」で当時高校1年生の石川遼が達成して以来。日本中が沸いた同学年のスターの存在は、松山にとっても“特別”になった。石川の快挙の2カ月前、ジュニアの大会で優勝争いしたはずの相手が、プロを相手に勝った。日曜日の昼間。バスの中で友達から知らされると「絶対ウソ!ローアマだろ?」と信じられない、信じたくない思いでいっぱいだった。「悔しかった。すごいなあ、いいなあと思った」というのが15歳の正直なところだった。

だが4年後、今度は自分が新しい歴史の1ページを刻んだ。2013年までにプロ宣言すれば、シード権も手にするが「大学に行っているからこそ、力がついている。ちゃんと卒業してからプロの道に行きたい」と当面はアマチュアとしてプレーすることを改めて明らかにした。

「ひとつ階段を上った、というかジャンプした感じ」。だが「通過点に過ぎないと思っている」とゴールはずっと先にある。「良い時も悪い時もファンを連れて歩けるプレーヤーになりたいと思います」。怖いもの知らずの新鋭が、富士山のふもとで、また大きな一歩を踏み出した。(静岡県御殿場市/桂川洋一)


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